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2011
12
27

#083- Higuchi kanako- water fluit

#083- Higuchi kanako- water fluit
with-
Masayuki "Jojo" Takayanagi & New Direction For The Arts



さて、
いよいよ今月の特集の締めくくりです。

これはもう皆さん良くご存じの写真集。
確信犯としての登場でしたね。

この写真集の登場以降、世の男どもはやっと溜飲を下げ、その後素晴らしい時間を持てているのです。
モデルと、作家と、出版社とに敬意を表しましょうぞ。

で、
この事象の肝は?
ズバリ、【朝日出版】

竹書房でも無く、ワニブックスでも無くが、扉を開かせたと思うのは僕だけでしょうか(笑)



第六弾。
樋口可南子 
日本で初めてのヘアヌード写真集。
朝日出版社 (1991/01)












アダルト動画:Higuchi kanako- water fluit
Higuchi kanako- water fluit




#083- Higuchi kanako- water fluit




Higuchi kanako- water fluit




樋口 可南子(ひぐち かなこ、1958年12月13日 - )は、日本の女優。本名、糸井 可南子(いとい かなこ)旧姓、樋口。
新潟県加茂市出身。ユマニテ所属。新潟県立加茂高等学校、女子美術大学(中退)。夫は糸井重里。

1980年に『戒厳令の夜』で映画に初出演し、ゴールデン・アロー賞の新人賞を受賞。その後、1983年には谷崎潤一郎原作の映画『卍』でのレズビアン役、1987年に山田詠美原作の映画『ベッドタイムアイズ』での大胆な濡れ場シーンなどで話題をさらった。テレビドラマでも山田太一脚本のフジテレビ『早春スケッチブック』やNHKの連続テレビ小説『ロマンス』に出演した。
1991年には篠山紀信撮影の写真集『Water Fruit 不測の事態』がベストセラーに。この写真集が事実上、日本でヘアヌードを解禁させるきっかけとなった。







樋口可南子- wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%8B%E5%8F%A3%E5%8F%AF%E5%8D%97%E5%AD%90

篠山紀信- wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%A0%E5%B1%B1%E7%B4%80%E4%BF%A1

篠山紀信公式サイト|SHINOYAMAKISHIN.JP
http://www.shinoyamakishin.jp/









篠山紀信と朝日出版はこの後、Acsident seriesとして、そうそうたる女優のヌード写真集を世に送り出します。
勿論他の作家も出版社も追随し、嬉しくも恥ずかしい、少し過激なものまでパスしてしまうのです。
黄金期、状態。
その上篠山朝日連合は、当時のトップアイドル主役の伝説の写真集【Santa・Fe】で社会をねじ伏せてしまいました。
あっぱれ!感謝!ありがとう、です。


『Santa Fe』
http://eeewaa00.blog107.fc2.com/blog-entry-20.html










で、使用した楽曲は、
【You Don't Know What Love Is】
下記のアルバムからです。



Free Form Suite (1972)
ffs1
Masayuki "Jojo" Takayanagi & New Direction For The Arts






You Don't Know What Love Is (1972)



album: フリーフォーム組曲 Free Form Suite (1972)
CD: Three Blind Mice / TBM-XR-0010 (1998)

高柳昌行ニュー・ディレクション
Masayuki "Jojo" Takayanagi & New Direction For The Arts
高柳昌行 Masayuki Takayanagi: guitar
森剣治 Kenji Mori : clarinet, flute, soprano & alto saxophone, piccolo flute, recorder
山崎弘 Hiroshi Yamazaki: drums, percussion
ジョー水城 Joe Mizuki: drums, percussion

Recorded live at Aoi Studio, Tokyo on 19 May 1972








という事で、年末大特集シリーズは目出度く終了となりました。
本年もお付き合いの程、本当にありがとうございました。

今回は、樋口可南子お母さんと、犬じゃぁないけれどもじゃもじゃのアイドル泥棒前科一犯篠山ゲバラ紀信兄との出走でした。

年末は、
若干の御挨拶をお届けして本年を締めくくるつもりですので、どちら様も良い年末と、新年への準備をお過ごしください、です。











再度、で。
ここから先は付録、です。
今回の動画に、図らずも使ってしまった大きなミス?への言い訳、
こんなものブログに貼って良いのか精神状態に対するアリバイ、
おぞましくもおこがましい行為、であります。

而して、読み捨て聞き捨て御免、であります。
勿論、少し聴いてまた読んでみて、「こんなんいらんもんね!」大歓迎。

あくまでも、私本人への戒めでありますから、当ブログへの評価の対象外であります。

お暇であれば、お進みください。
では。

ただし、書き物は、Read More に沈めます、です。

以上、お知らせでした。








Free Form Suite : 3rd Movement (1972)
Sun in The East







高柳昌行 900321
高柳昌行- lonely woman(1982)




Free improvisation 002 廣木光一 (HIROKI Koichi) Solo Acoustic Guitar
Flying Jojo [HIROKI Koichi] Cool Glade Quartet







高柳昌行とニュー・ディレクションズ - スペインの牧童の笛 (1969)
高柳昌行とニュー・ディレクションズ - 銀河系 / 病気のおばさん (1969)





高柳昌行・阿部薫 - 解体的交感 1 (1970)
高柳昌行・阿部薫 - 解体的交感 2 (1970)




:
:

JOJO TAKAYANAGI WITH JOHN ZORN- 1986
improvisation- 1990




西洋の音楽が、教会調(モード)旋律から、その影響(どんな曲でも宗教色を帯びてしまう)を嫌う新しい作曲家たちが築き上げた平均律に基ずく調性へと進歩し、対位やフーガや、通奏低音の錦織を経て、その塊をバーチカルに捉える和声の充実で近代化し、今この形として在る現実。

長音階と短音階、転調、関係長、並行調・・・。
オクターブに12の音が存在し、それぞれの音列を表現の多用に合わせて使いこなす。
この作業が本流として続いている。

作曲家たちは、その中で新しい試みを行い、時代に沿った?ものを生み出す。
禁忌とされた平行五度、不協和音の使用、そして、調性の縛りを超えたシューンベルグの12音音階。
しかし、どんなに頑張っても圧倒的な決め事である12音の縛りからは出ていないのである。

ピアノという楽器で代表される12音。
冗談じゃない!
音は無限にある。
12音種で、88音しかないのは、その圧倒的な地位にあるピアノ族だけなのにだ。

弦楽器は、ドとレの間に無限の音を有するし、管楽器も、唇や息のスピードや、バルブの使用でそれを持つ。
ギターでも、チョ―キングが表現力をもつというものだ、ざまあみろ・・・。

そして、
最終的にあらゆる音を使った表現が、ノイズに至るのは、ごくごく当たり前のことなのだ。
表現者が表現を求めた結果は、
溢れるノイズの洪水かそれとも、ジョン・ケージの示す、自らの沈黙にまとわりつく回りのノイズのどちらかに違いない。
けれども、耳を心を澄ませば、運よく彼らの頭の中で奏でられる美しい旋律を感じる幸せな一瞬もある。
その時、聴き手と表現者との境が取り除かれる。
僕らはその一瞬を求めて、聴きそして待つ。


そのようにして高柳は、死んだ。



高柳昌行を語る事は僕にとって気が重い。
勿論、僕に語る資格も無いのかも知れないし、語れる程のすべも無い。
けれども、今日ここで敢えて書くのは、今年の初め頃からモヤモヤと僕の心に忍び込んでいた後ろめたさからだ。
加えて、このブログの成り立ちや目的とも少なからずの接点があり、書く事にした。


1.2010/7/7- 七夕
渡辺香津美が東京都交響楽団とアランフェス協奏曲全曲演奏を行った。
2.2011/04-
廣木光一氏の活動に触れた事。
3.2011/07-
節目の年を迎えて、暫くぶりの演奏を記録した事。

モヤモヤの理由、大きくはこの三つだ。



【高柳昌行】という記号は【唯一無二】という記号と同値だ。
【高柳昌行】という熟語は【生き辛い】という意味を含み、
【高柳昌行】という道具は【対峙する鏡】なのだ。
それも磨き抜かれて一つの曇りも無く、対峙する者の心の中までをも映し出す魔法の鏡、困った代物。

その上、
【高柳昌行】という名前は業界に【呪縛】として存在する。
我々の世代に特に顕著に存在する【ある種の呪縛】
各々が各々の心に照らして、各々の表現者としての活動に対する、彼ら自身の思いと現実。
ある種の後ろめたさと、自虐。
彼らの作り出す【高柳昌行という呪縛】は、本人の意思に関係なく、それらを連れて彷徨う。

wiki-
高柳 昌行(たかやなぎ まさゆき、1932年12月22日 - 1991年6月23日)は、日本のジャズ・ギタリスト。東京都出身。フリー・ジャズに影響を受け、実験的な即興演奏を追求した。
9歳でプロとして活動開始。1950年代末期より、銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」で、「新世紀音楽研究所」という音楽家集団の中心人物として活動。
1970年、ニュー・ディレクションというユニットを率いて、バンド・リーダーとしてのデビューを果たす。1980年には、ドイツのメールスで行われたジャズ・フェスティバルに出。晩年は、「高柳昌行アクション・ダイレクト」というソロ・プロジェクトで活動し、複数のギターと様々な機材を駆使した独演を披露。また、1986年にはジョン・ゾーンと共演した。
音楽に関しては妥協を許さない姿勢から、他のジャズミュージシャンと軋轢を生んだり、ライブハウスから締め出しを食らうなど、衝突は多々あった。
ジャズだけに限らず、クラシック、現代音楽、タンゴ、ボサノヴァ、ラテン音楽、インド音楽、民族音楽など世界のあらゆる音楽を深く研究していた事で知られる。



こんな説明に何の意味が有るだろうか。
見るべきは、高柳が何年生きたかを計算できる事だけだ。
高柳の表現を文字で表わす程馬鹿げたことはない。
しかし、一般の人が演奏を聴いて、【高柳昌行】を理解するのは至難の業である。

高柳のモダンジャズ・スタイルへの決別として退路を断って臨んだ【ソロ】での演奏に、僕は打ちのめされるだけだ。
和音を弾かず、それでも強烈な訴求力を持つ表現。
高柳は【高柳の最高の聴きて】に向けて挑み続ける。

その一音に自らが求める表現に値すべき意味と強い意志が有るか?
そのフレーズに今瞬間に表現したい揺るぎの無い意思が有るか?

高柳は高柳に向って表現し、その厳しい評価を糧とする。

Free の意味する自由は、決して何でもありのやりっぱなしではなく、過酷なまでに鍛え抜かれた技術と理解を伴ったうえでの自身に向けた意識の拡散である事を、高柳は示す。
感情の爆発の内に、確たる正しい客観を保つ事を実践する。
高柳の表現は、一級の表現者にしか見つけられない、自身への挑戦であった。
最高で厳しい観客は高柳自身なのだ。
けれども我々は、高柳の音楽が我々に突き付けられた刃だと誤解してしまった。
それは勿論、高柳として生きられなかった負い目そのものだっただろう。
皆知っていた。
高柳という記号は呪縛となった。


【Free Form Suite (1972)】が発表された時、山下洋輔は「スウィングしない音楽だ」と否定した。高柳は、それに真摯に答え、しかし山下の考えの幼稚さを指摘した。
ウエス・モンゴメリーには、そのダイナミズムにしか価値を認めず、ちまちましたバーチュオーゾを歯牙にもかけなかった。
ギターという楽器の演奏者で高柳が認めたのは、かろうじてガボール・サボと、ジム・ホールくらいだろうか?
それはやはり表現者としての希求心へのシンパシーだったのかもしれない。
根底にある Lennie Tristano に典型的な,知的かつ論理的で,ホリゾンタルな演奏を極め、クールが持つ音の純化とフリーが持つ即興性をより強めた。

このようにして、高柳の表現は深化してゆく。
しかし、高柳の行動は排他を意味してはいないのだ。
我々の被害者意識が、呪縛を増幅した。
『高柳の功績は、多くのミュージシャンを批判もしたが、その何倍もの無名だったミュージシャンをも絶賛した所にある。日本はこれでバランスが取れていた。』友寄隆哉はこう書く。
全く同感である。
しかし、【潜在した呪縛】は、今も業界に深く在る。



高柳のレッスンは、月に4回あれば、最初の3回は実技に費やされる。
月終りの最後の回は、読書会と称するものが行われる。音楽関係の事もあれば、表現者として在る事に必要な読書。たとえば、玄関先にまで積み重ねられている【現代思想】などという雑誌も登場する。
高柳はあくまでも、表現者としてのレッスンを与える。

実技のレッスンは、これはもう徹底した技術の習得を要求する。
表現したいものを正しく表現するための確たる技術、技量。

受講者は勿論ギター弾きが多いのだけれど、それもある程度の経験者(プロが多いのだが)に、自分の持ち楽器は使わせなかった。
レッスン上で使用するのは、備え付けの楽器。俗に言うガットギター、クラッシックギターだ。
ジャズを引くのに適したギターになれた弾き手には、指板幅も広く、650mmスケールでしかも12フレットジョイントのこの手のギターは弾きづらいものだ。

テキストは、高柳自身が作った素材が用いられる。ギター弾きの為に作られたギター弾きの為の音列に飼い慣らされている者はここでも打ちのめされる。
そして、ギター用に作られたクラッシック音楽の練習曲や楽曲を練習するのだ。今までにない指のストレッチと、正確な押弦が無ければ正しく音は出ない。
そして特筆すべきは、右手はピックで弾く事が求められる。

「クラッシックの作品であっても、ピックで弾き飛ばせなくてなんぞジャズギター弾きか!」
高柳は生徒にこう言い放つ。

という事で、気がつくと、合理的で柔軟な対応が可能な運指が育まれる。
その上でのジャズレッスンなのだ。

渡辺香津美は最初の師匠であった中牟礼の影響もあって、高柳についた。2年かそこらだったらしい。
その後の渡辺の活躍は推して知るべし。
時代の要請と社会の要求と寄って立つ所属の思惑と・・・、いろいろな要素の複雑な絡みで、少し自己表現を押し通す主張をまげたのかもしれない。
メインストリーム流派に身を置く事を選び活動している。


が、
2010/7/7- 七夕
渡辺香津美は東京都交響楽団とアランフェス協奏曲全曲演奏を行った。
それは、クラッシックの演奏会の流儀に沿った正統なアランフェスだ。
ガットギターを使用し、PAも無く、生音での演奏。
そして渡辺は、その全曲をピックで弾き通した。
奇しくも高柳がこの世を去った年齢と同じ齢での演奏だった。
僕には、この演奏が彼の【高柳の呪縛】の消化であったと思えてならないのだ。
彼は意図してこの年齢までにと、この演奏を行ったと感ぜざるを得ないのだ。
近年の渡辺は、表現者としての試行錯誤が顕著だ。大手のプロダクションを離れ、妻であるピアニストと二人で小さいながらもレーベルを立ち上げ、自身の求める音楽を追求しているように見える。あらゆる種類の音楽との関わり。勿論、商品としてのそれをも含めてだが、それでも明らかに【原点回帰】を求めている。一音楽家としてでなく表現者として。
その思いを知る一人として僕は、渡辺の【呪縛】との真摯な対峙を嬉しく想うのだ。
ただ、これは単に僕の思いこみなのかも知れぬが・・・。



廣木光一は、たぶん最も長く【高柳塾】の門弟であった。
20年近く高柳の傍にあり(たぶん没年まで)その教義を受け継いでいる。
古澤良治郎、坂田明、武田和命・・・、数々の演奏歴を高柳という表現の本質をベースに築いている。
武田バンドの頃に一度聴いてはいるのだが、その時の印象はクールではあるが熱い激しさのほとばしりだった気がする。
ひょんなことから今年、ネット上で言葉をかわす事になった。

今では自分のギター塾と、演奏活動、加えて全国を回っての音楽ワークショップの開催を精力的にこなしているそうだ。
塾での教授法は、高柳塾同様にガットギターを使用し、独自に作ったテキストとクラッシックのギター曲をピックで弾いているとの事。嬉しい継承である。

演奏も、トリスターノを極める方向に加えあらゆる民族音楽へもアプローチしている。
そして僕が一番敬服するのは、ジャンルを超えた音楽のワークショップ活動である。
この素晴らしい活動を紹介したいのだが、今回のこの場では省かせてもらおう。
ただ、廣木光一は正しく【高柳】を理解し継承している数少ない表現者である事を書きとめておきたい。



さて、
色々な思いを持ってこのブログを立ち上げ、今年の九月を何とか迎えられそうになった時僕は、再び楽器を取り出した。
若干の練習を行い、演奏を記録した。

そこには、使い古され手垢にまみれた音の繋がりしか無かった。
偉大な先人の排泄物として巻き散らかされた、フレーズの数々。
まるで国会図書館に保存されているフレーズを瞬時に取り出して見せるマルサリスの様な音楽。
時間というただ一つのエレメントで誰でも達成し得る顔の無い音楽。
当たり前だ。
何を表現したいのか?表現したいというその欲求の希薄な所には感動は無いし、意味がない。
あ、でも僕は今、それで禄を食んではいないんだった(笑)
それにしても何たることか、であった。

これもまた、【高柳の呪縛】か?
いや、おこがましい事です。お許しを。

僕らは、パーカーになれるし、マイルスにもなれる。マルティーノにも、ジョンスコにもだ。
しかしそれはパーカーの様に吹けたり、ジョンスコの様に弾けたりするというただそれだけのことだ。そっくりさんコンクールにエントリするだけの演奏。
アマチュァで楽しむのならば大歓迎だが、それの方が楽しいのだから実際。

しかしその位置に留まっているプロの表現者がいかに多い事か!
マイルスがマイルスであるゆえんは、自分の排泄物に興味がなかったという事だ。一度吐き出したものを喰らう事はない。新しいものを作り出そうとする事。
どうしてそのようなモチベーションを持てるのだろうか。
理由は簡単なのだ。
マイルスは彼自身に向けて表現を突きつけているからだ。
偉大な先人たちは、疑う余地なく自分に向って問いかけている。
とどまって名人を目指すなんてのは似非表現者なのだ。

名人芸は商品としての価値でしかない。
昔の名前で出ています状態。
歳をとってもみっともなく若さを強調して見せる若大将のみじめさを僕は嫌う。
老人であっても、でんぐり返しが出来ると表現の本質で無い行いで芸術を気取るただのショーでしかない表現を忌む。

世の中には色々な音楽があり、商品としてのそれもある。
それはそれで仕方がないし、僕の関与の外で有るだろう。
しかし、投票権や生写真のおまけとしての音楽を100万枚売る商売と、その卑しい製作者に組する音楽屋にかける言葉はない。

表現は、希求し渇望するどうしようもない欲求の発露であるべきだ、たとえそれがはやり歌であっても。


閑話休題。

ウイスキーが回ってきた。

このエントリーでのこの長ったらしい文章で一番言いたかった事が少し的を外れてきた。

敢えて我々という言葉を使って、
われわれ世代は正しく【高柳の呪縛】を総括し、それを【高柳の遺産】へと変えねばならない。
それでこそ、新しく来る者へ正しい道を示せるし、あらゆる表現の手段の中からジャズという最高の自己表現を選んだもの達に素晴らしい演奏を求める事が出来るのだ。

そしてもう一つの【呪縛】。
渡辺貞夫が持ち帰り、【ジャズ・スタディ】という名で広め、今でも日本のみならず世界を席巻している【バークレーの呪縛】をもそろそろ断ち切らねばならない。
手段としての【バークレー・システム】が目的と化した、金太郎飴ジャズからの解放を、われわれよりも若い世代の表現者に求めたい。

その音は、今自分の出したい音か?
そのフレーズは、今自分が表現したい音か?
この二つを常に問い掛け、厳しい鑑賞家である客観の自分自身に聴かせて欲しいのだ。

それこそが、ジャズだろう。
アベイラブルノート、アボイドノート、音の選択は表現の欲求と君らの頭の中でなっている感性にのみに決定させるべきなのだ。

あらゆる【呪縛】を開放し、表現の本質に忠実に音が放たれたときに、僕は感動するだろう。
高柳の音楽は、それを一番に与えてくれるのだろう。

【唯一無二】
日本のジャズ人でこのように読み替えられる記号を僕は、【高柳昌行】意外に知らない。
日本の音楽家で僕の三本の指に数える一人である高柳の事を偲んで、この文章を締めくくるとしよう。

感謝。





あ、でも。
表現に目覚めた僕には、必要なものが有った。
清新で美しく、至高の音楽を表現するために必要なもの。
弘法は名人だから筆を選ばないけれど、
僕ら凡人は、それなりの道具を選ぶべきだ。
で、
何と言うか、
やっぱり、

新しい楽器が必要だ!
うん!

さあて、
障害物はどのように超えようか?
悩ましい・・・。




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Comment

  1. ただいま「非公開コメント」も受付中です。
  2. こんにちは

    2011/12/27(Tue) 16:47iri [ URL|Mail ]

    Santa Fe、は私も買いました
    当時人気絶大だったりえちゃん
    私も彼女の透明感がありながら明るく意思のある
    天使の様な姿に惚れ惚れとしていたので
    思わず手にしてしまったものでした

    念の為、
    本棚に納めたヌード写真集は後にも先にも
    その1冊ですが(笑)

    音楽の難しい事は私には解りません
    でもew1さんのブログを訪問させて頂ける事に
    心から感謝したいと思いますm(__)m
    これからもどうぞ色々な事を書き綴って下さい

    障害物も取り除かれる日が来るといいですね^^
    では良い年末年始を☆

  3. こんばんは。

    2011/12/27(Tue) 23:31ew1 [ URL|Mail ]

    iriさん、こんばんは。

    女性までもが購入する写真集。さすがに一世を風靡したのも頷けますね。
    僕はつい昨年500円で購入して動画にしたのですが(笑)

    色々な事を書きなぐるのは、ひとえに夜中のウイスキーのなせるわざです。筆の滑る事も多かろうと思いますので、その時はご指摘ください、です。

    障害物の件は、これはもう大問題でして。綿密な計画をたてて・・・。
    悩ましい事です。

    はい。
    iriさんも、良い年の瀬を。

  4. 2011/12/28(Wed) 12:46あひる [ URL|Mail ]

    全文読ませていただきました。
    音楽をこの歳になって始めるまでの私では、きっと何のことが書いてあるやらちんぷんかんぷんだったと思います。

    でも、今は少しだけ書いてある意味が分かるような気がします。
    私は、まだまだ人まねの修行が必要だと思いますが、いつかは自分だけの表現力を身に着けたいものです。

    新しい楽器のこと、新たな表現方法のこと、いつかこのブログで公開されることを切に望む次第であります。

    あひる

  5. 2011/12/29(Thu) 09:47ew1 [ URL|Mail ]

    あひるさん、おはようです。

    いやぁ、お恥ずかしい。
    酔っ払いが、新しいギターを何とか手に入れたいばっかりのアリバイ文章でした。
    あくまでも、この先良い聴き手で有り続けたい願望の確認でした。
    それでも、読んでいただいて大感謝、です。

    でも、楽しみは楽しみで楽しみましょうね。
    そもそもが、オネエチャンにモテタイが為に始めたジャズなんですし~(笑)

    今年も押し詰まりました。
    そちらは九州と違って、冬場は大変でしょうが、良い年末と新年をお迎えください。

    これからも宜しく、です。

  6. 2011/12/29(Thu) 23:46tam.ra [ URL|Mail ]

    高柳評、いや音楽論、違う違う、人生論だ。

    80%ほど理解出来た箇所は、100%同意です。
    マイルスがマイルスであるゆえんは、自分の排泄物に興味がなかったという事だ。一度吐き出したものを喰らう事はない。 マイルスが好きか嫌いかを別として、一度名声を得るとそれを壊すことは至難のわざ、確かに高柳の音楽をクロノロジカルに追うと同じいき方を感じますね。 出口を失いノイズに落込んだことは残念に思いますが。

    でもでもでも、ワンパターンのルー・ドナルドソンは大好きです。
    唯一無二の音を出しているからでしょうか。

    それにしてもこの文章は素晴しい。 尊敬です。
    ずーと昔、数学の問題を数字や数式を全く使わずに(言葉だけで)解いた先生の講義を思い出しました。

    来年も引続き宜しくお願いです。

  7. 2011/12/30(Fri) 10:35ew1 [ URL|Mail ]

    tam.raさん、おはようございます。

    少しかっこ付け過ぎました。
    酔うと、どうもいかんです(反省、恥ずかしい)

    それぞれの聴き手に、沢山の【唯一無二】が有って、何を隠そう僕にはそれが星の数ほどある(再笑)
    ただそれらが売れてないことへの怒り!が批評家や業界への罵詈雑言となっています、特にウイスキーの力を借りて、です。

    来年は少し大人になろうかと・・・。

    二流ジャズの愉しみは、その意味で頑固な程に自分の感性での論表を貫かれています。これからも、そのスタンスをお願いします。【唯一無二】の御紹介を来年も宜しく、です。

    年末お掃除亭主同盟に、幸有らん事を祈念して、よいお年を・・・。

  8. 2011/12/31(Sat) 05:38煮〆 [ URL|Mail ]

    樋口可南子、いいっすねぇ
    艶っぽさが群を抜いてます

    今年も色々と楽しませていただきありがとうございます
    良い年をお迎えください
    来年も宜しく!ですm(_ _)m

  9. Re: タイトルなし

    2011/12/31(Sat) 14:33eeewaa00 [ URL|Mail ]

    > 樋口可南子、いいっすねぇ
    > 艶っぽさが群を抜いてます
    同感です。
    来年は、卍動画上げますんで、お楽しみに。

    こちらこそ、お世話になりました。
    来年も、宜しくです。
    よいお年を。

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