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2012
03
21

Manabu Furusawa-


古澤良治郎というドラマーをご存じだろうか。
ある時期日本のジャズ界を牽引した熱い演奏家だった。
残念な事に昨年、63歳という若さでこの世を去った。
彼を偲ぶ会や、彼の事を慕う人たちによる演奏も数多く行われ、
今年の9月5日にはまた『古澤良治郎祭り』が、東京高円寺ジロキチで行われる予定だった。

彼には息子が二人いて、兄は映画、弟は音楽と、それぞれ創作家としての道を選んでいる。
その弟、古澤学君が
3月16日、36年の生涯を閉じた。

僕と彼には面識が無い。
ひょんなことからネットの世界で出会い、言葉を交わし、それも他愛のない戯言の事が多かったのだが
この一年ほど濃密な、そして楽しく純な時間を過ごした。
マイケル・シェンカーが好きで、あらゆる人に優しく、そして繊細でガラスの心を持っていた彼は、
僕にも回りの友人達にもある種の癒しと澄んだ心のありようを思い出させてくれた。

昨日3月20日お別れの会が執り行われ、参加された友人が参加できなかった皆にその写真を公開してくれた。
素敵な笑顔をネットを通してみる事が出来た。

残された者皆にとって、若くして逝ってしまう事の辛さを少しでも和らげようとしてくれているような笑顔だ。
彼とのこの短い付き合いが、僕にとって少なからずの癒しであったように、
僕と、彼と関わった心ある友人達とは、この笑顔を受け継がなければならない。
学、後は任せておきなさい。
こんな風に言える資格と覚悟をこの先持ち続けたい・・・。

合掌。



m100




2012/3/20-

『ある概念の認識が個人や社会の共有であるか否か、蓋然命題たるか否か』
があらゆる状況での感情や行動を差別化する。

【死】と【生】とは、それぞれ独立して、しかもそれらは対極として多くの場合語られ、認識される。
不可逆な時間軸で【birth→deth】として考えられている人の一生は、【死】で終息するが、これは現代の科学叡智の知り得る所までの認識に他ならず、この命題ははるか昔から人の心情、精神、哲学上の思索を揺さぶるものとして今もある。だから、宗教は未知の世界での安息を約束し、社会はそのbodyを丁重に葬る。

純粋に数学的な思考で考えてみると、
集合としての生と、集合としての死(かなり乱暴だが)が、帰属であるか包括であるかの違いを別にしても、一個体の【生】と【死】とは外延性の原理において=となり得るだろう。言いかえれば、『生きている状態が生で、死んでいる状態が死』か『生きている状態が死で、死んでいる状態が生』かの認識の違いだけなのだろう。ただし、これはあくまでもある一つのファクターを定数としているにすぎない。しかし、根本の認識を僕はここに置きたい。

だから僕は、
【死は生の一部として在る】、あるいは【生は死の一部として在る】という認識に立つ。
再度だから、僕は僕にこの先訪れるであろう【死】を恐れる事はない。
怖いのは、【死】に至る過程での苦しみや痛みや、心残りや、諸々の、人として在ったことで引き起こされる雑念だろう。
【死】そのものは、僕を含めた?好奇心旺盛なある種の人たちには、積極的にそれを選ぶにしても選ぶ勇気が無かったにしても、未知の現象を知り得る好機なのだから。
と、ここまでは重要な変数を無視した所での解答でしかない。

一番重要で、そして厄介(笑)なのは、
【死】が一個体に取っての状態ではないという状況だ。
ある一個体の【死】は、ある社会の出来ごととして認識され共有される状態なのだから。。
家族、友人、仕事・・・その死にまつわるもの全て、逝ったものと残された者。社会的な現象としてののっぴきならないものとして立ち向かってくる。
そしてそれはある時期負のベクトルとして拡散する。
けれども人の心はそれを時間の流れの中で、正のベクトルへ漸近させる力を持つのだ。
それが弱い『人』に与えられた生きるための正しい?心だろう。

悲しい、悔しい、そしてやるせなく溢れる涙が、美しい涙に変わる時が来て、
穏やかで優しい諦めや、思い出の中に見つける少しの微笑みや語らいが、
それを連れてくるその時に、
死者を含めた、この【死】に関わる人たちを癒すのだろう。

美しい涙を共有できた時、ここに示された一つの【死】は、昇華する、と信じる。
安らかに、穏やかに眠れ。



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2012
03
14

#089- Kurihara komaki & Iwashita shima with Tom Waits

#089- Kurihara komaki & Iwashita shima with Tom Waits


三月十一日が、やっぱり少し気にかかっていたので、自粛しておりました。
で、
今日からまた始めましょうか。

今回は、熟女女優さんの濡れ場継接ぎ動画紹介です。
若い方にはあまり興味はないのかもですが、ベースキャンプのFC2動画ではかなりの評判でした。
とりあえず、かぁ~るく景気づけと言う事でお茶を濁しておきます。

では、どうぞ。
次回からは、またいつもの様なくどくどした説明つきのです、か?






#089- Kurihara komaki & Iwashita shima with Tom Waits



アダルト動画:K. komaki- nureba
K. komaki- nureba






K. komaki- nureba









アダルト動画:I.shima- nureba#01
I.shima- nureba#01






I.shima- nureba#01



再度で、
付けてはいないけれど、ここもとりあえず楽曲を一つだけ。
本日に思う所あって、です。


今日もお菓子屋さんの販売促進デー。
でも、漢ならビターに行かねば、です。ちゃらちゃらと、何かをさせてもらうための送り物なんかしない方が本当は引きつけたりするものですぞ、っと。

ウオルシング・マチルダ~、ウオルシング・マチルダ~、我ら自由の労働者。マチルダ肩にさぁ友よ歌わん・・・。




Tom Traubert's Blues - Tom Waits






今回は、昔々皆を虜にした栗原小巻選手と、少しおかしな関西弁姉御岩下志摩姐さんの出走でした。

ではまた次回をお楽しみに、です。




2012
03
11

~ 311-

~ 311-


青く黒く暗く
練歯磨の粘度を持ち
ゆっくりとしかし強く対流し
太刀打ちできない重量で人を抱え込む
父なる海

あるいはそれは優雅にたゆたい
あらゆる命の恵みを運び続けて
あくせく蠢く現世の峡眼を諌めつつも
小さきものの愚行を微笑みと慈悲とで許す
母なる海

たとえ天の神の眼差しが何をも語らず
唯微笑んで見下ろすだけでしかなくとも
海の抱擁はいとけなき赤子の眠る揺り籠のそよぎの如く穏やかで
たとえ突然に終えた人生を残された者と共に飲み込んだとしても
それらは美しい思いとともに在る

海に漂うも海に遊ぶも
海に沈むも海に朽ちるも
数多の残されし想いも願いも祈りも
全て受け入れ
春に向う命の海は
この日に生まれ出でた幾万の神と共に
私と友とを見守り我等の未来を育むのだ

祈り感謝だ願い感謝だ想い感謝だ
憐憫に勝る感謝の祈りを私は今日も捧ぐ

海は深く静かにそこに碧い




弥生十日余り一



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2012
03
03

#088- Nanase natsumi with Paul Chambers

#088- Nanase natsumi with Paul Chambers



おまた、でした。
ではいよいよ3年目突入記念月の第一弾です。
お馴染み女優さんの濡れ場継接ぎです。
先ずはお楽しみください、です。




アダルト動画:Nanase natsumi- nureba,photo
Nanase natsumi- nureba,photo




#088- Nanase natsumi with Paul Chambers




Nanase natsumi- nureba,photo 



七瀬 なつみ(ななせ なつみ、本名:若杉 美千代、旧姓:滝沢、1967年3月23日 - )は、日本の女優・タレント。ケイセブン中村屋所属。
埼玉県川口市出身。川口市立県陽高等学校、上野学園大学短期大学部卒業。
高校3年の時に週刊ヤングジャンプの『ビーチギャル・コンテスト』でグランプリを獲得。その後、同誌の『'84クィーン・ザ・ベスト』で準グランプリに選出され芸能界入り。「オールナイトフジ」の女子大生タレントグループ「シーエックス」の一員として出演。
1989年、映画「桜の樹の下で」でオールヌードの濡れ場を演じ話題となる。
喫煙者。2000年に、TVディレクターと結婚するが、2003年に離婚した。
2006年4月、「心中天の網島」(2004年)で共演した俳優の若杉宏二と再婚した。同年6月に妊娠6ヶ月であることを公表し、同年10月12日に第1子(長男)を出産した。
学生時代、ツービートの熱狂的なファンだった。
代表作は『ぽっかぽか』『おみやさん』など。



バブルの頃かな、女子大生がブランドだったころにブイブイ言わせていたんですな。
当時はあんまり興味はなかったけれど、
本編映画で潔く裸を披露してくれました。
それなりの写真賞もですね、篠山紀信大兄の手で。まぁ、紀信先生はいっぱいとってるけど。
最近は、「おみやさん」での、少しコミカルな婦人鑑識警察官なんてのがあたり役でしたか。
ともかく、お気張りください。
いまはまだ育児でお忙しいでしょうが、熟女ブームはまだまだ続きそうですからね、です。




七瀬なつみ - wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E7%80%AC%E3%81%AA%E3%81%A4%E3%81%BF






で、
使用した楽曲は、
Paul Chambers-Bass on Top からなんですが、
お詫びです。
新しいニュースが飛び込んできたもので、急遽そちらの御紹介をさせてください。
Paul Chambersは近いうちに必ず、です。







では。

Akira Sakata + Nobuyasu Furuya : Live at the bitches brew" is elected The best album of 2011 by "Jazz Hihyou Magazine





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品番:Transheart/Solid Records CDSOL-1470(4526180102632) □CD 価格:¥3,150(税込)/¥3,000(税抜) 発売日:2011.12.21 発売・販売:ウルトラ・ヴァイヴ tel 03-5485-2301






これが当日のライブ!!



Nobuyasu Furuya (ts) & Akira Sakata (as) @ Bitches Brew Yokohama-Hakuraku
















最新のライブ!
平家物語は、ライフワークなんでしょうね。
今度聞いてみます、ってか何処で?(笑)



heike
1. 祇園精舎 (9:00)
2. 入道逝去 (6:54)
3. 六道之沙汰 (5:21)
4. 坂落 (10:56)
5. 敦盛最期 (12:02)
6. 木曾最期 (3:20)
7. 壇ノ浦合戦(先帝身投) (9:19)



Live@Yotsuya Kissa Sakaiki 2012.2.4 (sat)




精力的に活動しているみたいです、ミジンコ博士。
知る人ぞ知るの、少し悲しい音楽シーンです。
がんばれ!


Akira sakata- official
http://www.akira-sakata.com/works/cdrecord/



と言う事で今回は、昔良いころの女子大生七瀬 なつみ嬢と、いつものように突然乱入坂田・ミジンコ・明博士との出走でした。
次回は、週中。内容は、未定と言う事で今日は失礼します。
では、良い週末を、です。


2012
03
01

汚れちまった悲しみに-

今日の気分。



さて、3年目に突入しました。
で、2月も何となく忙しく、月末近くは旅に出ておりました。
今月からは、またいつものペースで。
今日は、旅先で久しぶりに立ち寄った青春の思い出からの、今日の気分です。

では、今後も宜しくお願いします、です。




汚れつちまつた悲しみに
中原中也(詩集 「山羊の歌」より)




汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の皮裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる・・・・・






中原 中也
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中原 中也(なかはら ちゅうや、1907年(明治40年)4月29日 - 1937年(昭和12年)10月22日)は、日本の詩人、歌人、翻訳家。
1907年4月29日、山口県に医師の子として生まれる。旧姓は柏村。夭折したが350篇以上もの詩を残し、一部は、中也自身が編纂した詩集『山羊の歌』、『在りし日の歌』に収録されている。訳詩では『ランボオ詩集』を出すなど、フランス人作家の翻訳もしている(他に少量だがアンドレ・ジイドほか)。 東京外国語学校(現在の東京外国語大学)専修科仏語部卒業。



中原中也記念館- 山口湯田温泉
n0009



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冬の長門峡
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坊や
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中原中也記念館- wiki
http://www.chuyakan.jp/00top/01main.html
中原中也- wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%8E%9F%E4%B8%AD%E4%B9%9F
中原中也の生涯、詩と朗読
http://reservata.s123.coreserver.jp/poem-chuuya.htm#yaginouta







中原中也記念館- 山口湯田温泉 (2012/2/23-24)

後一週間ほどで夏休みという高校2年のある日の昼休み、ほとんど上半身裸で下敷きを団扇代わりに使っているむんむんとした男クラスに僕を尋ねてやって来たのは、男女クラスの爽やかなひと組の同窓生だった。面識はなかった。出身中学も違っていたし、高校で同じクラスになってもいないし、校内活動でも接点はない。なんで?状態。
結局この先の夏休み、彼とは長門峡へと旅?する事になった。残念ながら女の子は同行しなかった、なしかっ!

なんと彼等は図書館からやって来たのだ。
たぶん高校時代が一番純粋読書に取り組んでいた。岩波文庫の色とりどりの帯を手当たり次第に読み漁り、結局フランスものへと傾倒していくのだが・・・。
で、学校の図書館での貸出カードに記された僕の名前から彼等はやって来た。ランボーの詩集だったんだろうね。
G君は中原中也フリークの文芸部員で、で同行の彼女は一年生の部員だったと後で知った。そんな事があっての長門峡旅行だった。

今回、湯田温泉で記念館を訪れた事は、やはり少しばかりの興奮を連れてきた。
大きな建物では無いけれど、自筆の原稿や色々な写真、特に書簡の数々。書くと長くなるので、その内にブログにでもでっちあげるつもりだけれど・・・。一つだけ。
ここでとんでもない勘違いをしてしまった、恥ずかしい(笑)
それは、最初に展示されていた清書原稿の何枚かを見ていたときのことだ。
「え!すごいなぁ。中也は几帳面だったんだ。こんな細字の付けペンで綺麗な字を書いている。繊細だったんだぁ~」なんて口に出して呟いてしまった。一巡し終え、さて何処をじっくり見ようかとまたその原稿群の前に立った時、一瞬顔が紅くなって穴が有ったら入りたい思いだった。
写譜屋さんが書いたに決まっとおじゃんか!ばっかじゃないの俺!

閑話休題。

机について書きつけた原稿もスケッチしながらB5のペラに書きなぐった原稿も、アテネ・フランセの洒落た手帳に書いた覚書や日記も、かなり字が踊りそして流れている。
頭に浮かぶ言葉の群れに筆記が追いつかないもどかしさが、少しでも書き物を経験した者には解るというもんだ!
息遣いまで窺われる、いいもんだね、来てよかった。
それにしても、当時はまだ携帯筆記用具は進歩していなかったと言う事も知った。旅や外出先での書き物はほとんど墨筆だった。まだ矢立の時代だったみたい、お勉強になりました。
と言う事で、また伺いたいものです。司書のオネエチャンも美しく素朴でいい感じだったし・・・。
小林秀夫宛ての書簡が、僕には一番でした。

追伸。
高校図書館の読書カード。
ある日ある本の読書カードに、当時憧れだった女子の名前を見つけました。
ドキドキして、硬くなって、興奮して・・・。
大江健三郎『性的人間』
やっぱり、女子の方が進んでいたあの頃、でした。





スルヤ 朗読(加賀美幸子) 中原中也



中原中也の詩が初めて発表されたのは、昭和3年(1928年)5月の第二回スルヤ発表演奏会の時でした。このとき機関誌『スルヤ』に歌詞として掲載された「朝の歌」と「臨終」が、活字になった最初の詩です。

 「スルヤ」はその前年に諸井三郎(作曲家1903~1977)を中心として結成されたアマチュアの前衛的な音楽団体です。「スルヤ」とは、サンスクリット語(梵語、インドの古典語)で太陽神を意味することばから名付けられました。当時の同人には化学者や文学者など音楽以外の分野で活躍した人が多く、友人の小林秀雄(評論家1902~1983)も、親しく例会に出入りしていました。

 中也たちの文学仲間の河上徹太郎(評論家1902~1980)はスルヤの同人の一人でした。河上は早くから音楽評論を書き、ピアノも巧みでした。その河上徹太郎の紹介で、中也は当時まだ学生だった諸井三郎と知り合いました。諸井三郎はそのころ東京帝国大学で美学を学んでいました。

 中原中也はスルヤの同人にはなりませんでしたが、スルヤの知的な雰囲気を好み、毎週水曜日の集まりにしばしば顔を出しました。やがて、中也は諸井三郎に作曲を持ちかけ、詩の原稿を渡します。そのとき、諸井三郎が分厚い原稿の束の中から選び出したのが、「朝の歌」と「臨終」でした。

 こうして、音楽集団スルヤとの交流から、「朝の歌」「臨終」「空しき秋」(諸井三郎作曲)、「帰郷」「失せし希望」(内海誓一郎作曲)などの歌曲が生まれました。これらは、第二回(昭和3年)と第五回(昭和5年)のスルヤ発表演奏会で披露されました。また、昭和7年には『世界音楽全集』(春秋社)の第27巻「日本歌曲集」にも、収録されました。

 中原中也の詩は現代でもさまざまな音楽にのせて歌われています。クラシック系、ニューミュージック系、同時代の友人から近年のシンガーソングライターまで、その詩は幅広く作曲者の意欲をそそるものを持っているようです。

 中原中也は自分で演奏することはありませんでしたが、音楽に深い関心を示し、愛用の蓄音機でレコード音楽を楽しんでいました。中也の詩には<ベートーヱ゛ン>や<シューバート>(「お道化うた」)などの作曲家の名前が登場し、また<バッハ>や<モツアルト>(「いのちの聲」)の名も出てきます。有名な詩「サーカス」の擬態語<ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん>の部分は、中也自身が独特の節回しで朗読しました。中原中也の詩には音楽性が備わっていると評価されています。天性の素質に加えて、音楽青年たちとの交流が中也の文学に与えた影響も見逃せません。

 中也と音楽については、友人たちがさまざまな逸話を語り伝えています。たとえば、マスネーの「エレジー」を好んで口ずさみ、バッハの「パッサカリア」を愛聴し、チャイコフスキーの「舟歌」にあわせて古今和歌集の「ひさかたの光のどけき春の日にしづこころなく花の散るらん」を歌っていたといいます。

 諸井三郎はその後ドイツに留学して、ベルリン国立高等音学学校で2年間作曲を学びました。帰国後、諸井は作曲と音楽教育の両面で大いに活躍しています。代表作に「交響曲第二番」、著書に『機能和声法』『楽式の研究』等があります。その門下からは、團伊玖磨や柴田南雄らの優秀な人材を輩出しました。

 もう一人の作曲者である内海誓一郎(1902~1995)は本業は化学者でしたが、スルヤではピアノと作曲に力を発揮しました。「帰郷」を作曲する際、曲をつけづらいことばを含んだ2行を省くことを申し出て、中也の承認を得ます。のちにこの詩が詩集『山羊の歌』に収められたとき、決定稿として中也が選んだのは、改作された詩の方でした。

 内海誓一郎は同人誌『白痴群』(昭和4年~5年)にも、中原中也や河上徹太郎らとともに参加して、いくつかの文章を発表しています。
(「復活・スルヤ演奏會'97」CDブックレットより)




と言う事で、
3年目突入初回は少し真面目?なエントリーでした。
次回からはまたいつものお嬢ちゃん動画となるでありましょう。
で、
一応創刊記念月ですから、この1,2ヶ月の怠惰な更新を凌駕するべく、
がんばりま~す!
次回は、3/4、濡れ場動画の登場です。お楽しみに。
再度、今後も宜しくお願いします、です。

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